開幕戦
南アフリカGPでついにF1への初参戦を果たした。エンジンは
イルモア製であったが、名称は「ザウバーエンジン」として搭載した。当時メルセデスがF1復帰を正式に表明していなかったため、ワークスカラーの銀色(シルバーアロー)ではなく黒色のマシンで登場し、リアカウルに「Concept by Mercedes-Benz」の文字があるのみであった。メルセデスワークス復活の足掛かりとして資金及び技術援助を受けていると周囲には受け止められたが、実際はワークス計画を中止したメルセデスがザウバーの参戦を補償した形であった。しかし、現実には技術面から財政面に至るまで大規模な支援を受け、1993年当時の水準で全チーム中、最大のファクトリーとトップチーム並みの予算規模を持ち、新規参入にも関わらず5チームしか無い
グッドイヤータイヤのファクトリーチームとして指定(レース・テストを問わずタイヤの無償かつ無制限供給)されるなど、異例なほど万端な体制を整えての参戦となった。
メルセデスは正式にF1参戦を表明したが、形態はエンジン供給に止まり、ザウバーはプライベートチームとして活動していくことになった。この年の第4戦
モナコGPで、エースドライバーの
カール・ヴェンドリンガーがフリー走行中にクラッシュで瀕死の重傷を負ってしまった。この事故はドライバーの頭部が剥き出し状態であった事が重症を負った原因とチームが独自に判断、たとえエアロダイナミクスが悪くなってもドライバーの生命を守る事を最優先事項とし、翌スペインGPから「サイドプロテクト」と呼ばれるドライバーの頭部をより安全に守れるような改造をコックピットに施した(このサイドプロテクトは1996年以降
レギュレーションに採用され、F1以外も全てのフォーミュラカーのルールにおいて採用するようになった)。この事故により、この年にF1デビューを果たしていたチームメイトの
ハインツ=ハラルド・フレンツェンが急遽エースドライバーに昇格、セカンドドライバーには「壊し屋」との異名をもつ
アンドレア・デ・チェザリスを起用して残りのシーズンを戦うこととなった。しかし、チームは資金力豊かなトップチームのようにコンスタントな開発が出来なかったことから成績が振るわず、メルセデスが
マクラーレンと翌
1995年以降のエンジン独占供給契約を結んだことで長年のパートナーシップに終止符が打たれた。この年からメインスポンサーが付く事になったが最初の「ライト・ハウス」社が指定された期日までに契約金を入金しなかったので契約不履行となり契約を解除、スイスの時計メーカー
スウォッチ社(ブランド名は
SUISSE・TISOTT)がメインスポンサーとなる。また1995年からは
レッドブルがメインスポンサーとなりチーム名も2004年まで「レッドブル・ザウバー」となった。