ワットは、1736年に
スコットランドのグノーリックで機械職人の子として生まれた。産業革命の中で育ったワットは、14歳の時に
ロンドンにでて、機械製造業を学んだ。機械職人として働こうと思うが、ギルド制度にはばまれ、開業ができないでいた。そこで、ロンドンの化学器具製造会社で1年間修行に励み、
1757年に
アダム・スミスのはからいで、
グラスゴー大学構内で実験器具製造・修理店を開業した。ここで
ニューコメン型
蒸気機関と出会い、より効率のよい蒸気機関をつくるため、
熱と
力の関係を研究する。そして、
シリンダーを2つ持ったワット式蒸気機関を考案した。当時、グラスゴー大学には
物理学教授の
ジョゼフ・ブラックがおり、彼から
熱力学について学ぶ機会があった。物理学実験の授業用の
ニューコメンの
蒸気機関の模型修理を行うことを通じ、これまでの蒸気機関における問題点、改良点を見抜いた。
従来のニューコメン蒸気機関は、生成された
熱の1%程度しか動力に転換できなかった。ワットは、まず
シリンダーから
冷却機を分離した蒸気機関を発明することに成功し、より多くの熱を動力に転換できるようにし、
1769年に支援者のローバックと「火力機関において蒸気と燃料の消費を減少させるためにあらたに発明された方法」で
特許を取得。その後、新たな協力者
マシュー・ボールトンと
1774年にボールトン・ワット社を作り、ワット式蒸気機関の製造を開始。その後も蒸気機関改良は進められ、1781年に
遊星歯車装置の特許を取得。翌1782年に複動機関、89年に遠心調速器、91年にボール調速器を開発している。
ワットの功績は、蒸気機関の改善のみではなく、蒸気機関の出力を表わす
単位として「
馬力」(
ワット)という単位を作っている。(なお、この単位が設けられたのは、ワットに対する特許料支払い基準を作る必要があったからである。)また、複写インキの発明も行った。
1819年、産業革命が一層進展し、イギリスが「世界の工場」と称される繁栄へ向かう中、ワットは
バーミンガム近郊のヒースフィールドで死去した。