「ドイツ」を自称する国家の国籍を保有する人(
国民)。現代においては
ドイツ連邦共和国の国籍を保有する場合を指すのが一般的である。この場合の「ドイツ人」は帰化した他国人・他民族も内包する為、民族主義的なドイツ人からは否定的に取られやすい。一方で
ドイツ統一の中心となった
プロイセン王国のあった
ベルリンを中心とする「
ブランデンブルク地域」は、
スラブ系の
ポーランド人との雑居地であり、同王国では多くの「ポーランド系」プロイセン人が活躍(
戦争論で著名な
クラウゼヴィッツもポーランド系である)した。彼らの多くは
ポーランド系ドイツ人として独自のアイデンティを残しながらも国籍を取得しており、そういう意味では帰化人の存在自体はドイツにおいて珍しい存在ではないと言える。
前者の場合はドイツ地方はその領域が未だに確定されていない不安定な物に過ぎない(直近の例では
東ドイツの統合が挙げられる)点や、ドイツ人の存在を必ずしも前提とする必要がない以上、古代ゲルマニアの諸民族から今日のドイツ住民について記述する事も可能となってしまい、ドイツ民族の
アイデンティティに支障が生じる点で物議を醸してしまう。しかしドイツ人の歴史と銘打ったところで「文化集団としてのドイツ人」が形成されたのはせいぜい
15世紀・
16世紀からの事でしかないし、更にそこに「国民意識を持った」という前提を加えれば19世紀からの歴史しか記載できないことになってしまう。「
ドイツ人、それが何処にいるのか私には分からない」(
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)、あるいは
「我々をドイツ人として纏めようとする事は無駄な努力である」(
フリードリヒ・フォン・シラー)という言葉が象徴しているといえよう。
こうした問題点については多かれ少なかれ他の欧州主要民族にも言えることではあるが、取り分けドイツは地方としての領域が近代以降も変動を続けているという点で、他国よりも複雑な事情を抱えている。