1918年、第一次世界大戦の敗戦により
オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊した。
10月31日、ブダペストでの
アスター革命の成功により、リベラル左派の
カーロイ・ミハーイ伯爵が首相となり、政権を握った。カーロイは
ウッドロウ・ウィルソンの平和主義に応じて、ハンガリー軍の全面武装解除を命じた。ハンガリーは無防備の状態となり、カーロイは第一共和国の樹立を宣言し、大統領となる。しかしかつての
ハンガリー王国の領域のうち上ハンガリー(
スロバキア、
カルパティア・ルテニア)は新生国家である
チェコスロバキア、に奪取された。内政と軍事の両面で失敗したカーロイ政権は1919年2月には国民の支持を完全に失ってしまう。連合国の軍事代表がハンガリーに対してより一層の領土割譲を要求したため、
3月21日にカーロイは退陣した。代わって
クン・ベーラが率いるハンガリー共産党が権力を掌握し、ハンガリー・ソビエト共和国の成立を宣言する。共産主義者は平等と社会的公正を約束した。共産主義者(または「赤」)が権力を掌握できたのは唯一の組織化された武装集団だったことによるもので、彼らは徴兵なしにハンガリーの領土を守ると約束した(恐らく
ソ連赤軍の助けを期待していた)。当初、ハンガリー赤軍の兵士はブダペストの工場労働者達だったが、後にハンガリー赤軍は、イデオロギーよりも愛国心によって、本当の国民軍となる。
1916年、ルーマニアは
連合国側に立って第一次世界大戦に参戦した。その主な目的はルーマニア民族が住む土地を統合して一つの国家とすることだった(
ブカレスト条約 (1916年)参照)。だが、ルーマニアは大敗を喫して、国土の大半を占領されてしまう。そして1918年、ロシアで共産政権が成立し
中央同盟国側との単独講和条約(
ブレスト=リトフスク条約)を結び、ルーマニアは東部戦線に取り残された唯一の連合国となってしまった。この状況はルーマニアの軍事力では耐えられるものではなかった。ルーマニアは中央同盟国に講和を乞い、1918年5月にブカレスト条約が結ばれた。
マルギロマン首相は条約に署名したが、
フェルディナンド国王は署名を拒否し、中央同盟の戦況の悪化を見て11月10日に連合国側で再参戦した。目的は1916年の参戦時と同じであった。フェルディナンド1世国王はルーマニア軍の動員を求め、カルパチア山脈を越えてトランシルヴァニアに攻め込むよう命じた。第一次世界大戦はその数日後に終結したが、ルーマニア軍の戦いは終わっていなかった。戦闘はこの年の終わりまで続き、1919年に入ってハンガリー・ルーマニア戦争となる。