同社は
スクーターの製造販売で知られ、1940年代の終わりに人気が絶頂となった。1950年代には
ピックアップトラックと
ステーションワゴンの製造を手がけ、スクーターが流行した1960年代には再度スクーターと小型
バイクに集中した。苦難の歴史の中で、同社は1020台のピックアップトラック、300台のステーションワゴン、3つのモーターハウス、1万台以上のスクーターと業務/配達用の乗物を製造した。
パウエルのスクーターは日本のスクーターにも大きな影響を与えた。中島飛行機が第二次大戦後
富士重工業として再出発した際、パウエルを参考にありあわせの材料で
ラビットスクーターを製作、22年間にわたるヒット商品となったことは有名である。