ホンダ・NSR500V wikipedia|無料辞書
◆ 特徴
V4マシンの
NSR500と同じクランクケースリードバルブ式の
水冷2ストロークVツインエンジンを搭載。このエンジンは当時の他のホンダGPレーサーマシンと同じくVバンク角は100度、シングルクランクシャフトを採用する。車両重量は103kg、
アブガスを入れた場合に135bhpを発生する。
V4マシンよりは40-50馬力ほど非力なものの、より軽く、乗りやすく、ハンドリングの良いマシンに仕上がっている。V4勢よりも速いコーナースピードを維持できるのが最大の武器であり、多くのサーキットでは、単独で走行した場合V4勢と同じぐらいのラップタイムを出すことができた。しかしレース中のバトルでは、コーナー脱出時の加速に優れるV4勢に軍配が上がることが多く、予選では好成績でも決勝が混戦になると順位を落としてしまう傾向があった。それでも、プライベーターにリーズナブルでコンペティティブなマシンを供給するという当初の目的は達成できたと言えるだろう。
◆ レース経歴
ホンダはシーズンオフもNSR500Vの開発を継続し、
1997年シーズンは
青木拓磨が実戦を担当することになった。7戦で5位以内に入り、マシンと相性の良いフィリップアイランドでは再び2位表彰台に立った。この年からプライベーターへのマシンの販売が開始され、中でも新興チーム
グレシーニ・レーシングの
アレックス・バロスは
ドニントンで表彰台を獲得し、シリーズ9位(ワークスのV4勢4台を凌ぐ成績)に入る活躍を見せた。
1998年から
1999年にかけては、
セテ・ジベルナウがレプソル・ホンダでNSR500Vを駆り、2戦で表彰台を獲得した。またより多くのチームが500Vを購入するようになり、
2000年シーズンごろまでには「プライベーターがコンスタントにポイントを獲得できるコンペティティブなマシン」として地位を確立させた。2000年には
ユルゲン・ファン・デン・グールベルク、
2001年には
青木治親がそれぞれNSR500Vを駆って「ベスト・プライベーター」賞を獲得した。またNSR500Vをベースとしたカスタムマシンを開発するプライベーターも現れ、日本では
テクニカル・スポーツの手による「TSR AC50M」がよく知られている。
2002年に最高峰クラスがMotoGPクラスに改称され、4ストローク車が有利になると、2ストローク勢はV4車ですら勝負にならない状態となり、NSR500Vの時代は終わりを告げた。
HRCは1996年から2001年の間に33台のマシンを生産した。V4のNSR500は各チームにリースされるだけだったが、NSR500Vは販売されたため、後年多くのマシンが放出されることになった。多くのマシンは個人コレクターに買い取られ、何台かは各国の国内選手権に参戦した。