初代のテンペストは、オールズモビル車の外板を使用していたがその下は根本的に異なった構造であった。テンペストの動力系は、ほぼ車両全長に渡る革新的なトンネルとそこに内蔵された3/4
inの柔軟な
プロペラシャフトが鋼製の箱の中で回転しており、このたわんだプロペラシャフト(平たく「"ロープドライブ":"rope drive"」と呼ばれた)が前部のエンジンと後部で一体化された
デファレンシャルギアと
トランスミッションを繋げていた。後部に配された
トランスアクスルと前部に搭載されたエンジンの組み合わせ(
トランスアクスル レイアウト)は、前後輪にほぼ50/50の理想的な重量配分を与え、4輪
独立懸架を実現し、通常の形式の車ではトランスミッションを収めるのに必要な前席足元の床の"張り出し"を廃することができるという利点も持ち合わせていた。この車の設計者はポンティアック・ディビジョンの主任技術者で
パッカード社の
OBのジョン・デロリアン()であった。彼は後にディビジョンの長になり、更にその後に彼自身の名を付けた車を造ることになった。
ビュイックと
オールズモビルの姉妹車が通常の前部にエンジンとトランスミッション(床のトンネルの下に2分割式のプロペラシャフトが通っていた)を搭載したホッチキス・ドライブ方式()を採用していたことからすると、テンペストはまさに独自の存在であった。
エンジンは市場で「"トロフィー4"("Trophy 4,")」と称された195 cu in (3.2 L) の
直列4気筒で、これはボンネヴィル()やカタリナ()といったポンティアックの大型車の標準エンジンであったポンティアック製389 cu in()
V型8気筒の右
シリンダー・バンクから派生したエンジンであった。このエンジンは倹約家の消費者には
燃料消費率の良い経済性の高いエンジンだと宣伝されたが、ポンティアックにとっても389エンジンと同一の生産ラインで製造できるためコストを抑えることができた。エンジンは8.6:1の低圧縮比に1バレル・
キャブレター、10.25:1の高圧縮比に1バレル・キャブレターと高圧縮比に4バレル・キャブレターの3種類があり、1バレル・キャブレター版が110-140 hpの出力だった一方で4バレル・キャブレター版は4800
rpm で155
hp (82
kW)(
SAE グロス)の出力と2800 rpmで215 ft?lbf (292 N?m) の
トルクを発生した。この3種のエンジン全てが18-22 mpgの範囲の燃料消費率であり全般的に信頼性に富んでいたにもかかわらず、機械の調子が悪いときは蹴りを入れれば良いと思っているようなディーラの整備士(農村地帯出身と思われる)からは「"ヘイベーラ"("Hay Baler,":乾草圧縮梱包機)」という蔑称を付けられた。
小さいことだが著名なもう1点その他のY-ボディ車との違いはホイールであった。ビュイックとオールズモビル両車は自ブランドのY-ボディ車に当時の他のGM車には使用されていない14 in (360 mm) ホイールに4本の
直径4.5 in (a "four-on-four-and-a-half" bolt pattern)のスタッド()を使用し、半端なサイズの9.5 in (241.3 mm)
ドラムブレーキを標準化していた。ポンティアックは15 in (380 mm)ホイールに同サイズ("five-on-four-and-a-half")の5本のスタッドを使用し、9 in (229 mm)
ドラムブレーキを装着していた。このポンティアックの構成もその他のGM車には使用されていなかったが、ホイールは約4年後の
1964年半ばに発表された
フォード・マスタングと同一の物であった。多分唯一合致する共通点は、テンペストの足回りを製造していた
ロサンゼルスのポンティアック工場がムスタングの開発がされていたフォード工場と道を1つ隔てた場所にあったことであった。