20代半ばの時期にはイタリアの
MVアグスタのエースとして500ccクラス4連覇などの圧倒的な成績を挙げているが、後からMVアグスタに加入したイタリア人の
ジャコモ・アゴスチーニがチームから後押しを受け始めたこともあり、
1966年から日本の
ホンダに移籍。アゴスチーニと激しい戦いを繰り広げたものの、500ccクラスでのホンダのマシンの性能(特に操縦性)がMVアグスタに及ばなかったこともあり、500ccクラスの個人タイトルはアゴスチーニに奪われる結果となっている。ホンダは
1967年限りで世界GPを撤退し、ヘイルウッドも主戦場を4輪レースに移したため、以後アゴスチーニは快進撃を続け、のべ15もの世界タイトルを獲得することになった。ただし実力はヘイルウッドの方が一枚上手と見る向きも多く、ヘイルウッドが一線級のマシンで2輪の世界GPに出場し続けていたら、アゴスチーニがあれほどの大記録を樹立できたかどうか分からないと言う意見もある。
公道使用の難レースとして知られる
マン島TTレースでも
1979年までに14勝を挙げ当時の最多勝記録保持者だった(2009年現在、歴代2位)。後に
ジョイ・ダンロップが26勝を挙げてヘイルウッドの記録を更新したが、ダンロップはマン島TTが世界GPの冠を外されて以降に勝利を積み重ねたのに対し、ヘイルウッドはマン島TTが世界GPの一戦で世界の精鋭が集まっていた時期に12勝を挙げているのに注目すべきという意見がある。ヘイルウッドの10〜12勝目は
1967年にホンダRC(ワークスマシン)で達成しており(250/350/500cc)、それまで最多勝ライダーだった
スタンレー・ウッズ(主として戦前に活躍)の10勝を一気に更新した。