1926年に中野重治らと同人誌『驢馬』を創刊。 このころは、『水族館』などの
モダニズムの影響を強くもった作品もある。
1930年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺を病み、
軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこしたことにもつながっていく。また、病臥中に
マルセル・プルーストや
ジェイムズ・ジョイスなどの当時のヨーロッパの先端的な文学に触れていったことも、堀の作品を深めていくのに役立った。後年の作品『幼年時代』(
1938年-
1939年)にみられる過去の回想には、プルーストの影響を見る人も多い。
1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、
八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその冬に亡くなる。この体験が、堀の代表作として知られる『風立ちぬ』の題材となった。この『風立ちぬ』では、
ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用している。このころから
折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受け、王朝文学に題材を得た『かげろふの日記』のような作品や、『大和路・信濃路』(1943年)のような随想的文章を書き始める。また、現代の女性の姿を描くことにも挑戦し、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家庭の中での自立を描く作品にも才能を発揮した。
戦争末期からは病気も重くなり、戦後はほとんど作品の発表もできずに、信濃追分で闘病生活を送った。その点では、可能性を最大に発揮することのできなかった不幸な側面もあったといえよう。