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「日産・パルサー」||バイク-master.com [05/26update]

日産・パルサー wikipedia|無料辞書

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パルサー (PULSAR) は、日産自動車1978年から2000年まで製造、販売していた小型乗用車である。

◆ 概要
4ドアセダンからスタート。その後ハッチバッククーペライトバンが設定された。その生涯を一貫してヨーロピアンイメージの小型車として開発/生産された。

◆ 沿革

◇ 初代 N10型(1978年-1982年)
;1978年5月
:チェリーF-?(F10型、1974年発売)の後継車種としてN10型パルサー登場。
:発売当初はファストバック(2ボックス)スタイルながら、独立したトランクを持つ4ドアセダンのみ。エンジンは直列4気筒OHV1200/1400ccのA12/A14型。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを上下(2階建て)に配するイシゴニス式。サスペンションは前ストラット、後セミ・トレーリングアームの四輪独立で、スプリングは前後ともコイルスプリングを用いるなど、機構的には先代のチェリーF-?を踏襲している。また、1400cc車には独特のH形ゲートを持つクラッチレスクラッチペダルは無いが、電磁クラッチを用いており、シフトレバーに触れるとクラッチが切れる。変速は手動で行う。また、トルクコンバータも併用していたMT(あるいはセミAT)「スポーツマチック」車も引き続き設定された。デビュー時の広告では、パルサーを中心に、欧州を代表する小型FF車フォルクスワーゲン・ゴルフルノーサンクミニを並べ、「パルサー・ヨーロッパ。」と謳っていた。
;1978年9月
:3ドアハッチバック、3ドアクーペ及びA14Eエンジン搭載車を追加発売する。
;1978年11月
:パルサーバン発売。
:コストと耐久性を重視してリーフ・リジット式を採用するのが常であるバンモデル(前身のチェリー・バンはリーフ・リジット式であった)としては珍しく、リヤサスペンションをスペース効率に優れる横置きトーションバースプリングを配置したフルトレーリングアーム型独立式サスペンションとする事によって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床故にバックドア開口見切りを大きく下げており、結果リヤバンパーは極端に天地に薄いものとなっていた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない天地に広い空間を車体内部に構築していた。

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;1979年8月
:パルサーバンが昭和54年排出ガス規制適合によりN11型系車となる。
;1979年9月
:5ドアハッチバックを追加。
:基本的に4ドアセダンと同じスタイルのボディに、3ドアハッチバックと同じリアゲートを組み合わせたもので、4ドアセダンに比べリアシートのバックレストが可倒式になり実用性が増した。また、トランクの開口部が上方向に広がったが、開口部下端は4ドアセダンのバンパーレベルからテールランプ上端に上がった。
;1980年2月
:サンルーフ付車追加。
;1980年5月
:マイナーチェンジ。角型ヘッドライトを採用。4ドアセダン廃止。
;1981年3月
:2度目のマイナーチェンジを実施。
:エンジンがE型直列4気筒SOHCの1300/1500ccに変更される。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを直線状に配するジアコーサ式となる。同時にトルクコンバータプラネタリーギアを用いた一般的な構造の3速フルATが開発され、「スポーツマチック」は廃止。また、バンの基本型式がN10型に戻る。モデル末期に大掛かりな機構の変更がなされたが、これは同年10月に発売のB11型サニー(同車初の前輪駆動)のパイロットモデルとしての役割を果した。
パルサーはレース活動が活発で、クーペによるワンメイクレースが開催された。1981年にはRACラリーに参戦。
File:Datsun-310.jpg|5ドアハッチバック
File:Datsun Cherry 5 door estate 1978.jpg|バン

◇ 2代目 N12型(1982年-1986年)