しかし大正9年から昭和6年までの連続不況期に、慎重な不況対策を一切採用せず、無謀ともいえる多角化戦略のため昭和2年の金融恐慌で、川崎造船所は破綻し、川崎造船所に巨額の融資を行っていた兄の松方巌が頭取を務める十五銀行も破綻し川崎正蔵が築き上げた川崎財閥を崩壊へと追いやった。これを機に役員を務めていた全会社を辞任する。その後は衆議院議員を昭和11年(
1936年)から連続3期務め、国民使節として渡米し国際的に活動した。また川崎造船所社長として隆盛を誇った
第一次世界大戦の際、ヨーロッパで買い集めた絵画、彫刻、浮世絵は
松方コレクションの名で知られ、その一部は
国立西洋美術館の母胎となった。