1898年江東
尋常小学校入学。
府立第三中学校を卒業の際「多年成績優等者」の賞状を受け、
第一高等学校第一部乙類に入学。1910年に中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、龍之介はその選に入る。同期入学に久米正雄、
松岡讓、
佐野文夫、菊池寛、井川恭(後の
恒藤恭)、
土屋文明らがいた。二年生になり一高の全寮主義のため
寄宿寮に入るが、龍之介は順応することはなかったらしい。寮で同室となった井川恭は生涯の親友となる。1913年、
東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。
東京帝大在学中の
1914年(
大正3年)2月に一高同期の
菊池寛・
久米正雄らと共に
同人誌『
新思潮』(第3次)を刊行。まず「
柳川隆之助」(隆之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名で
アナトール・フランスの「
バルタザアル」、
イエーツの「
春の心臓」の和訳を寄稿した後、10月に『新思潮』が廃刊に至るまでに同誌上に処女小説「老年」を発表。作家活動の始まりとなった。
1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる「羅生門」を「
芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表、級友
鈴木三重吉の紹介で
夏目漱石門下に入る。
1916年(大正5年)には第4次『新思潮』(メンバーは第3次とほぼ同じ)を発刊したが、その創刊号に掲載した「鼻」が漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業。卒論は「
ウィリアム・モリス研究」。